がんの見落とし
1. がんの見落としとは、
がんの見落としとは、一般的には、医師が、患者にがんの兆候が存在するにもかかわらず、それに気付かなかったため、患者に適切な措置を施す機会を失しめた場合をいうことが多いと思います。がんの見落としが問題となるケースとして、下記のように(1)職場などでの集団健康診断において見落とす場合、(2)人間ドック検診において見落とす場合、(3)個々の診療において見落とす場合等があります。
(1) 健康診断において
職場で集団健康診断を受け、毎年異常なしとの診断を受けたにもかかわらず、受診者ががんによって死亡したというケースなどにおいて、健康診断におけるがんの見落としが問題となり、遺族が健康診断を受託していた病院等に対して、損害賠償請求できるか否かが問題となります。
(2) 人間ドックにおいて
人間ドックを行った病院が、異常を発見したにもかかわらず、受診者に再検査や精密検査を指示しなかったため、受診者ががんによって死亡したというケースなどにおいて、人間ドックにおけるがんの見落としが問題となり、遺族が人間ドックを行った病院に対して、損害賠償請求できるか否かが問題となります。
(3) 個々の診療において
がん以外の病気で診療を受けていた場合に、患者にがんの兆候が存在したにもかかわらず、医師がそれに気付かなかったため、患者ががんで死亡したケースなどにおいて、個々の診療におけるがんの見落としが問題となり、遺族が診療を行った病院に対して、損害賠償請求できるか否かが問題となります。
2. 問題点
がんの見落としを理由に病院に損害賠償請求をなす場合においては、検診・診療を担当した医師にがんを見落とした注意義務違反があったか、その前提として医師はどのような注意義務を負うか、仮に注意義務違反が認められたとしても、注意義務違反と患者の死亡との間に因果関係が存在するか(損害が認められるか)否か等が問題となり、裁判例でも主としてこの3点が争われるケースが多いと思われます。
さらに、認容判決においても、その損害額の認定が比較的少額にとどまっている例が多いとの指摘をする見解もあります。
3. 裁判例の紹介
(1) 健康診断におけるがんの見落としに関する裁判例
担当医師の注意義務違反があったか否かを認定するに当たって、その前提として、医師にどの程度の注意義務が課されるかが問題となります。裁判例の中には、下記の裁判例のように、多数の者に対して短時間に行われるという健康診断の性質上の限界を挙げるものが多数存在します。もっとも、健康診断におけるがんの見落としについて、必ずしも過失が否定されるわけではなく、事案によっては医師の過失を認めて、損害賠償請求を認容した裁判例もあります。
仙台地裁平成8年12月16日判決―否定例
「人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁)、
具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和五四年(オ)第一三八六号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号五六三頁、最高裁昭和五七年(オ)第一一二七号同六三年一月一九日第三小法廷判決・裁判集民事一五三号一七頁)。したがって、被告読影担当医師らの過失の存否を判断するに、・・・
問診ができず、年齢、病歴等の受診者に関する参考資料もない状態で、当該レントゲンフィルムの読影のみで正常か異常かを判断しなければならず、当初から比較読影を行うことは集団検診の時間的・経済的制約から望むことはできず、比較的短時間に多数のレントゲンフィルムを流れ作業的に読影しなければならず、個別検診と異なり右のような諸条件の下で前述の感受性と特異性の問題を考慮しなから読影しなければならないという集団検診の制約と限界を前提に考えざるを得ないのである。そうであれば、集団検診におけるレントゲン写真を読影する医師に課せられる注意義務は、一定の疾患があると疑われる患者について、具体的な疾患を発見するために行われる精
密検査の際に医師に要求される注意義務とは、自ずから異なるというべきであって、前者については、通常の集団検診における感度、特異度及び正確度を前提として読影判断した場合に、当該陰影を異常と認めないことに医学的な根拠がなく、これを異常と認めるべきことにつき読影する医師によって判断に差異が生ずる余地がないものは、異常陰影として比較読影に回し、再読影して再検査に付するかどうかを検討すべき注意義務があるけれども、これに該当しないものを
異常陰影として比較読影に回すかどうかは、読影を担当した医師の判断に委ねられており、それをしなかったからといって直ちに読影判断につき過失があったとはいえないものと解するのが相当である。」
富山地裁平成6年6月1日判決―肯定例
「確かに、定期健康診断においては、短時間に大量の間接撮影フィルムを読影するものであるから、その中から異常の有無を識別するために医師に課せあれる注意義務の程度にはおのずと限界があり、鑑定人が供述するように、昭和六二年度定期健康診断時に撮影されたエックス線間接撮影フィルムにおける陰影は、短時間の読影では見逃されるおそれがあることも否定できないところ、右読影の過程において本件異常陰影を発見しフィルムの比較読影を試みた本件医師の判断は、一面において要求される水準を十分に満たすものであったと認められる。しかしながら、本件医師が本件異常陰影を発見し、一度は精密検査が必要と考え、甲のフィルムにつき前年度のものと比較読影して右陰影につき医学的判断を下す段階においては、前記のように大量のフィルムを読影するという状況ではなく、認識した個別の検査結果の異状の存在を前提に一般的に医師に要求される注意を払って判断しなければならないものと考えられる。そして、前述のとおり鑑定の結果によれば、
本件異常陰影が前年度の陰影と対比して客観的に変化しているのであるから陰影の変化の有無という判断自体には裁量の余地はないものと認められ、
本件医師は右判断において要求される注意義務を怠ったものといわざるを得ない。
また、定期健康診断は、病気の有無を診断し、職場において必要な措置を行うことを目的とするものであるから、本件のように肺癌の可能性が少なく結核性の炎症が最も疑われる場合であっても、前年度と比較して陰影に変化がある以上、そのまま放置して翌年の定期健康診断まで様子をみることで足りるか否かを判断する前提として、
精密検査を通じて陰影の原因を調査すべきであった。
したがって、本件医師が、昭和六一年度の定期健康診断時におけるフィルム上の陰影と本件異常陰影とを比較陰影した際に、陰影に変化がないと判断し、
精密検査を指示しなかったことには過失があったものと認められる。そして、前記認定のとおり、陰影の変化を認めていれば、肺癌を疑わなくとも結核性の炎症を疑い精密検査を行うべきであり、
精密検査を行っていれば、肺癌を発見しえたものと認めるのが相当である。」
(2) 人間ドックにおけるがんの見落としに関する裁判例
下記の裁判例のように人間ドックにおける検診においては、医師に高度の注意義務を認めるものがあります。また、下記裁判例は、医師の過失(注意義務違反)と患者の死亡との因果関係を否定しつつも、患者のがんの早期発見、早期治療の機会への期待を法的保護に値するものとして、損害賠償請求を認容しています。この点につき、がんが発見されていれば、延命した可能性が認められれば、因果関係は肯定され、死期が早められたことについての損害(慰謝料)についても賠償請求が認められると考えられます。(1)で紹介した富山地裁の判決は「甲は、本件医師の過失行為により、早期に肺癌を発見し治療を開始する機会を奪われ、死期を早められたものであり、そのことによって精神的損害を被ったものである。」として、損害賠償請求を認めています。
東京地裁平成4年10月26日判決
「人間ドックは、疾病、特に癌や糖尿病といった成人病の早期発見と、適切な治療を受けさせるためのアドバイスを主たる目的として行われるものであり、受診者も当時の医療水準における適切な診断とアドバイスを期待して人間ドック診療契約を締結するのであるから、人間ドックを実施する医療機関(以下「実施医療機関」という。)としては、当時の医療水準に照らし、疾病発見に最もふさわしい検査方法を選択するとともに、疾病の兆候の有無を的確に判断して被験者に告知し、仮に異常があれば治療方法、生活における注意点等を的確に指導する義務を有するというべきである。また、
人間ドックはいわゆる集団検診とは異なり、健康管理に高い関心を有する者が自発的に受診するものであり、受診者は少しでも異常を疑わせる兆候が存在する場合にはその告知を受け、精密検査を受診することを希望しているのが通常である(それが、癌の存在を疑わせる兆候であればなおさらである。)から、 実施医療機関は、異常を疑わせる兆候があればこれをすべて被験者に告知し、診断が確定できない場合には精密検査あるいは再検査を受けて診断を確定するよう促す高度の注意義務を有するというべきである。・・・
以上のとおり、被告病院が独自の見地から、(+)を異常とは判断せず、甲に対し再検査あるいは精密検査の受診を促さなかったことは、少しでも異常を疑わせる兆候があればこれを被検者に告知し、再検査あるいは精密検査の受診を促すべき実施医療機関に課せられた注意義務に違反するものであるから、被告には、昭和五八年一二月及び同五九年一二月のそれぞれの時点において、実施医療機関として負うベき注意義務を怠った過失があるというベきである。・・・
被告の過失と甲の死亡との間に因果関係は認められないから、甲の死亡によって生じた損害については、被告の過失によって生じたものとは認められない。
しかしながら、甲は、被告と人間ドック診療契約を締結することにより、異常を疑わせる兆候かあればその告知を受け、併せて適切な指導を受けることにより大腸癌を含む
疾病の早期発見、早期治療の機会を得ることを期待していたというべきであり、
右期待は法的保護に値するものというべきである。したがって、
甲は、被告の過失による債務不履行によりこの期待権を侵害され、適切な指導を受ける機会を奪われることによって
精神的苦痛を被ったということができる(なお、原告らの主張する甲の慰謝料は、右のような適切な指導を受けられなかったことによる慰謝料をも含むものと解することができる。)。」
(3) 個々の診療におけるがんの見落としに関する裁判例
がん発見のための診療ではなく、他の病気で診療を受けていた患者について、がんの兆候が存在したケースで、診療契約に基づくがんの検査義務を認めた下記裁判例があります。
東京地裁平成19年8月24日判決
「一般に、患者は医学的知識に乏しく、どの診療科を受診すべきか判断する能力を欠くのが通常であるから、
医師は、診療に訪れた患者が、医師が通常有すべき医学的知見に照らして他科領域における診察ないし検査が必要な状態にあると認められる場合には、当該患者に対し、他科の受診を勧めるべき義務を負うものというべきである。そして、この義務は、
診療契約に基づく付随的な義務として契約上の義務の内容となり、これを怠った場合には債務不履行責任が生じると解するのが相当である。・・・
亡花子は、平成14年5月17日に被告病院の外科を受診し、同日付の問診表に、血便、下痢、便柱の狭小、腹部の張り、体重の減少といった症状に○を付するとともに、丙山医師に対し、軟便、肛門の腫れ、出血を訴えているのであって、同医師が亡花子にこれらの症状があることを認識していたことは明らかである。これらの症状は、
大腸癌の典型的な症状であるから、外科担当医である丙山医師には、亡花子に内痔核の存在を認めたとしても、直ちに大腸癌を疑い、下部消化管の検査を実施(予定)すべき注意義務があったというべきである。・・・
亡花子は、被告病院において適切な治療行為を受けていたならば、その死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったにもかかわらず、被告病院において適切な治療行為が行われなかったことによってこれを侵害されたのであるから、被告には、適切な治療行為により生存する相当程度の可能性を侵害したことに基づいて亡花子が被った損害を賠償すべき責任があるというべきである」
名古屋地裁平成19年7月4日判決
「本件立位充盈像及び本件背臥二重造影像の所見から、がんの存在が相当程度強く疑われるところ、○○は、被告病院受診時に、「胃の不快感」「胃重い」(1月6日)、「空腹感とともに胃重苦しく、痛くなる」(1月24日)、といった胃がんの場合に起こりうる症状を訴えていたこと、本件造影検査当時○○は満50歳であり、一般に胃がんの好発年齢と言われる年代であったこと、前述のとおり、胃がんは治療開始時の病期が患者の予後に直結していること、
造影検査には一長一短があり、内視鏡検査によってその短所を補うことが可能であること、
本件造影検査当時、内視鏡検査及び生検は一般に普及した検査方法であったことにかんがみれば、
被告には、本件造影検査の画像読影後速やかに内視鏡検査及び生検(以下両者を併せて「内視鏡検査等」ということがある。)を含む精密検査をすべき義務があり、また、本件造影検査当時、被告の医院には内視鏡検査等を行いうる機器がないため、内視鏡検査等を自ら行い得ないのであれば、○○に対し、
内視鏡検査等を行い得る医療機関を紹介し精密検査を受検するよう指導すべき義務があったというべきである。」
この
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